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「人が居る形跡はないな」
ナティが言う。
今五人が歩いている地面は、全く均されていない物だった。歩いた後に足跡が付くくらい柔らかいのだ。頭上では鳥の鳴く声が聞こえるが、他の動物は居ないようだ。
「見て。泉があるわ」
そう言ってセイが指差した先には、透明な水を湛える美しい泉が湧いていた。
泉からは細い頼りなげな水路が、自然の力によって引かれている。小さな泉だった。
「飲めるのかな」
トライが泉の水を手で掬う。
「分かった分かった。俺が今から調べるから、まだ飲むな」
ナティが笑いながら言う。ナティ自身も、こんなに綺麗な泉を見たのは初めてだったが、飲めるものかは見た目だけでは保証できない。
『森?』
シュラインが、皆にではなく、ナティにだけ言う。
「ああ。かなり大きい。だが、地図には載っていない」
水を調べながら言った。
『地図に無いのですか? 私も見てみたいわ。ナティ、石を目の高さくらいにかざしてくれませんか』
言われた通りに石をかざす。半透明だった石の透明度が増したように見えた。
『凄いわ。こんな森がデイにあったなんて。こんな大きな森なのに、地図にないのもおかしな話ね』
シュラインが感嘆の声を上げる。
「そうだ。シュライン、宮の地図で、昔のでも良い。二つの都市以外に流れる川を探してくれないか。ここに泉がある。見えるか?」
そういって、石の位置を下にずらす。この石を通して見えているらしいと思ったからだ。
『ええ』
シュラインの返事は、それがどうしたの? とでも言いたげだ。
「この泉から一本の川が流れているのも分かるだろう。地図でその川を探せば、今居る場所が分かると思うんだ」
『分かりました。ベナフィト、ベナフィ――』
そこで、シュラインからの送信は途絶えた。おそらく、ベナフィトを呼ぶ為に石から手を離したのだろう。
とにかくナティは、調べ終わった水の事をトライに言おうと立ち上がった。
「ナティ、テント張ったぞ。水はどうだった? 飲めるか?」
丁度カムが来た。
「どうしたんだ。カムまで泉に拘らなくても良いだろ? 水はまだ水筒にあるんだし」
「残ってれば言わないと思うぞ? 俺は女どもとは違うんだ。まあ来て見ろよ。絶対驚くから」
あまりトライ達と変わらないと思うけどな。
ナティはそう思いながらも、カムに付いて行った。
テントに着いたナティは、テントの中を覗いて言葉を失った。中に置かれてある荷物は明らかに荒らされていて、水筒の水もばら撒かれていた。ムスっとした顔の三人が、一匹の生き物を囲んでいる。
「……プラスパー」
爬虫類とも哺乳類とも覚束ないその生き物は、スウィートが飼っているハビコルという動物、そのものだった。
セイがナティに顔を向けて言う。
「ユメが持って来た袋に入ってたの」
「今まで全然気づかなかったんだ」
ユメが、足元に擦り寄って来たプラスパーを抱き上げながら言う。
「今さっき、袋を開けたら……この様だよ」
「で、水が無くなった訳だ」
トライに続けてカムが言う。
ハビコルという動物は、数日間食べ物が無くても生きられる丈夫な生物らしい。
「もし、泉の水が飲めなかったらどうする気だったんだ? ユメ、」
プラスパーを指差して問い詰めようとするが、プラスパーは答えられる訳がなく、かと言ってユメが悪い訳でもない。
「良いだろ。『もし』は『もし』だ。泉の水は飲めるんだ。助かったじゃないか」
自分に何か言おうとして止めてしまったナティに、ユメは言う。ユメは楽観的な思考からそう言っているわけではない。本当に『もし』で済んでくれたから言える事だった。
テントの中を元のように綺麗に片付けると、ユメ達は外に出た。テントの中に置いておくと何をしでかすか分からないプラスパーも一緒だ。
「二手に分かれて、セイとカムとトライは北の方を見て回れ。俺はナティと西を見る」
こういう分け方にしたのは、ユメなりの考えがあった。
セイとトライはいつも一緒だから、一緒が良いだろう。と後一人、俺以外の者を一緒に行かせるとしたら、ナティとセイは今一仲が良くないし、カムが良いだろう。
そんなところだった。
「暗くなる前にはテントに戻れよ」
別れ際にユメが三人に向かって言う。プラスパーはユメが連れて回る事にした。
「次にシュラインから連絡が入ったら、プラスパーの事言わないとな。スウィート心配してるだろうし」
ナティが前を歩くユメに言う。
「ああ。そうだな」
プラスパーは随分ユメに懐いている。
「……こんな所に森があったのなら、どうして今まで誰も気付かなかったのだろう」
ユメが背の高い羊歯を掻き分けて進む。
「人工衛星からとか、見えるはずだ」
「そうだな。だが最近は、ほとんどの科学者達は人工衛星に目を向けなくなった。ここも、多分、ずっと昔は砂漠だったんだ。いつからか水が沸き始めて、どこからか飛んで来た種が根付いたんだろう」
ナティがユメの後を良く。人が通った後なので幾分進みやすかった。前を歩くユメは苦労しているだろう。
そんな事を考えている内に、ユメとの間が離れてしまった。歩調を速めようとした時、ユメが歩みを止めた。
「どうしたんだ?」
そう言って、ナティがユメの傍らまで行く。
前方は森が開けて、砂漠になっていた。ユメが歩みを止めたのは、向こうが砂漠だったからではない。ちょっとした崖になっているのだ。崖の上がユメが居る森で、下からは広い砂漠。
そうだ。この森は――
「? ユメ。ユメ、どうしたんだ?」
突然地面に倒れ込むように膝を付いたユメに、ナティが言う。
「気分が、悪い」
「大丈夫か? もう少し日陰に入って休もう」
西日が差さないほどの森の奥まで戻ると、ナティはユメを木にもたせ掛けた。
「顔色が悪いぞ。風邪でも引いたのか?」
ナティがそう尋ねた時、ユメは目を閉じて休んでいた。
涼しい風が吹く。砂漠とは大違いの森。大地は冷たいくらいだ。けれどそれは、とても居心地の良い冷たさだった。
「すまない。もう大丈夫だ。急に明るい所に出たから、眩暈がしたんだ」
ユメは、心配するなとでも言うように、ナティを見て微笑む。
「そうか。なら良いんだが」
眩暈がしただけとは思えなかった。だが、ユメはそれ以上言う気はないらしかった。
「そろそろ戻ろうか。戻った頃には丁度日が沈んでいるだろうし」
ナティのその言葉に、ユメは頷く。
二人は自分達が作った道を戻った。
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