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「そんなに深い森でもないらしいから、何事もなく行けば今日中には戻れるだろうな」
ユメが言う。
「ああ。……本当に一人で行くのか?」
ナティの質問に、ユメが頷く。
「なぜ花を採りに行った連中が戻って来ないのか、そこに何があるのか、何も分からないが大丈夫だ」
ユメは何が大丈夫なのか分からない言い方で、ナティを安心させた。
敵、か。俺がこれから行こうとする場所に奴が居るような気がする。
ユメは、この町に来たときからそう感じていた。多分それがユメの力なのだ。『奴』が何者かは分からない。しかし、それが自分達の敵の、少なくとも一部であることは確かだった。人間ではない何か。気のせいだと流せれば良いが、そういうわけにもいかない。
「無理よ。あの花は採って来られないわ。滅ぶんだもの。この町は……」
ピンが、ユメが出掛けて行った森へ向かって、そう呟いた。
「ひとつ、聞きたいことがある。予知ができるのなら、この病気のことも最初から分かっていたんじゃないのか? わかっているならなぜ、誰もここから逃げようとしなかった」
ナティがピンに尋ねる。
「わたしに分かるのは、せいぜい三日かそこら先のこと」
ピンが森を見つめながら言う。
「じゃあ、ここが滅びるというのは、」
「嘘じゃないでしょう? このままだと、滅びるに決まってる」
確かにその通りだ。しかし、滅びるという未来が決まっているということでは無い。
「で、ナティセルは本当に彼女を追いかけて行かないの?」
ピンがナティを振り返る。
「ああ。ユメなら大丈夫だから」
そう言うナティを見て、ピンは微笑んだ。
「来て。あなたをもっと良く見たいって人が沢山居るわ、神子様」
ナティの返事を待たずに、ピンは進み始めた。どこに行くのかは、ナティには全く分からない。ピンはナティが付いて来ているのかも確かめずに、どんどん進んで行く。
小さな、家と家との間の路地をまるで迷路のように進むうちに、ナティはピンを見失ってしまった。わざとなのだろう。ピンの悪戯心が感じられる。
「ねえ、あなた。あの子はわたしたちの娘に違いないわ」
突然、すぐ近くで声がして、ナティは声の方を見る。目の前の家からだった。
「十五年以上も前にあの男にやった娘のことか? なぜ分かる?」
男の声が、さっきの女の声に続いて聞こえる。
「だって、そうだもの。緑色の瞳があなた譲りだって。そして、赤い髪はわたしの……」
女が言う。
「そうだとして、一体お前、どうする気だ? どうやって確かめる。本人はまだ赤ん坊だったんだぞ」
「名前があるわ。なぜだか知らないけど、皆名前を大切にするじゃない。わたしたちがあの子に付けた名前、……ユメルシェル=カズクャキヤ。その名前で分かるはずよ」
ユメルシェル。……やっぱりユメのことか。この二人はユメの本当の両親なのか?
ナティは二人の会話を聞いて思った。
「ナティセル! 何してるの、そんなところで。早く来てよ」
突然そう呼ばれて、驚いたのはナティだけではなかったようだ。家から、家具をガタガタ動かしているのが聞こえる。
扉が開いて、男が顔を出した。
「神子様。聞いていらしたのですか?」
男がナティに尋ねる。
「いや、そういう訳じゃ……」
故意に聞こうとした訳でもないのだ。
「いえ、構わないのですよ、神子様ならば。……聞いていたのなら分かりますよね。あの少女の名前は……」
言うべきなのか、ナティは瞬時迷った。言ってどうなるというのだろう。
「確かに、彼女はユメルシェルです。でも、あなたがたのいうユメルシェルと同じ人かまでは分かりません」
とにかく、ナティはそう答えた。
「そうですか。……失礼いたしました」
男はそう言って、家の中へと入って行った。
「ナティセル」
ピンがナティを呼ぶ。
ナティが案内されたのは、セイとカムとトライが居る建物だった。
「みんな助からないって、分かっているわ。でも、少しぐらい希望を与えたいの」
ピンが言う。
窓から、幾つもの目がナティを見ていた。ナティをコヒの神子だと思って、食い入るように見つめている。その顔は皆やつれ、死を感じさせた。
中に三人の姿も見える。まだ他の人と比べると元気な方だった。
「皆さん……」
プラスパーがナティセルの足元に居た。シュラインの声がナティに届く。
「シュラインか。俺とユメ以外の三人が病気になってしまった。……三人をそっとしておいてやりたい。なるべくプラスパーを使ってくれ」
ピンに聞こえないよう、小声で言う。
「分かりました。……でも何だかおかしいの。さっき石の反応が四つしかなかったの」
「ユメだ。多分ユメが感知されなかったのだろう」
このままシュラインと話していると、ピンに不審に思われるだろう。
そう思って、ナティはそこから離れることにした。
「ユメがどうかしたのですか?」
「薬を取りに行った。病気の、な。俺が持っている薬草では全く役立たずだった。気休めくらいにしかならない。だから一人で……」
「そうですか。でもユメなら大丈夫でしょう。ユメはとても強いもの」
シュラインがナティを安心させるように言う。
ユメなら大丈夫だ。
そう思っていても、嫌な予感がした。
「ナティ、資料に伝説の魔のことがあったから、その一部を読みます。
〔正しき血を引き継ぎし者、悪を制し、この世を救うべきはその者のみ。〕
それから別の資料で、
〔純粋なる心と体を持つ者こそ、奴の弱点。〕
とあります。私の考えでは、この人物は同じではないかと。どうでしょうナティ」
シュラインが言う。
「ああ、多分」
ナティは短くそれだけ答えた。
やはりそうか。宮の資料にもあったのなら間違いない。――正しき血を引き継ぐ者の、純粋な心と体――汚れなき肉体、それがなければ『魔』は倒せないのか?
「ナティ、そして、私はその、正しき血を引き継ぎし者、というのがユメのことではないかと思うのです」
「シュラインもそう考えるのか。やはり、皆そう考えるだろうな」
皆、ルーティーンが予言により娘を育てているということで、勘違いしているのだ。全てがはずれている訳ではないので、その分、そう考える人は増える。
もし、『魔』が普通の考えを持つ奴なら、ユメだと思うだろう。そして、もしユメが正しき血を引き継ぎし者なら、敵はユメをそのまま放っておくか? 自分を潰せなくする手っ取り早い方法があるんだ。それを実行することはないのか?
ナティの嫌な予感は、どうやらそれが元らしかった。病気にかからなかったのが二人だったということに、偶然以上の不思議な力を感じたのだ。この町に来てすぐの時、唐突に雨がやんだのもそうだ。何か意図的に起こっているように思えるのだ。
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