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翌日早くに、ユメはマイに起こされた。ユメには鍵を掛ける習慣がないから、部屋には誰でも入れる。
「何だ、マイ」
「もう朝だ。みんなとっくに起きてるぞ」
マイに言われて、ユメは寝台の側の窓から外を見た。
ああ、そうか。宮では朝遅かったからな。
確かに、ここでの生活では既に起きている時刻だ。宮での生活に慣れていたから、皆が起きる時間に起きられなかったのだ。
「朝食は?」
「俺たちと一緒にいつもの食堂でだ。今他の二人も誰かが呼びに行ってる」
マイはそう言うと、そのまま部屋から出て行った。扉も閉じずに、だ。
ユメはその扉を閉じてから、素早く着替えた。
食堂では何人もの人が食事をしている。互いに挨拶を交わす声や、会話などで騒がしかった。
「ユメ」
ユメが盆を持って列の最後に並んでいると、後ろから声を掛けられた。振り向くと、ナティとカム、それにロウクの三人だった。
四人は一つの卓[テーブル]についた。
「こんなに人が居たのか」
カムが周りを見ながら言う。
「一カ所に集まるからな」
ユメが言った。
はっきりした人数は分からないが、この狭い場所に四十人は居るだろうか。
「ユメ、俺たちは今日から何をすればいいんだ?」
ナティが尋ねる。
ユメは暫く考えていたが、特別ナティたちがしなければいけない事はなかったから、
「お前たちの好きにすればいい。分からないことがあればその辺の奴に聞けばいいからな」
と答えた。
好きにすれば良いと言われたが、カムはその魔法をその辺の人々の見世物にされるし、ナティは武術を習いに来ている子に勉強を教えてくれと頼まれて、『好き』にすることはできなかった。
一方、ユメとトライは皆と一緒に武術の稽古だ。本当に『好き』にできているのはこの二人なのかもしれない。
全員でする基本的な練習が終わって、自由時間ともいえる時間が来た。自由時間とはいっても、誰も遊びに行ったりしない。だから『自由』というよりは『自習』時間だ。
「試合しよーよ」
ロウクが早速ユメに言う。
「いいぞ。……外がいいな」
「でも外の闘技場、誰か使ってるよ」
見ると確かに使っている。滅多に使われることはないのだ。強い日の光を避けるため、室内練習を皆好む。おそらく室内練習場もいっぱいなのだろう。
「書けばいい」
ユメはそう言うと、少し大きめの石を拾って線を引き始めた。地面は土だから、簡単に線が引ける。
「俺もやる」
ロウクが言って、ユメが書き出した所から垂直に線を引いていく。
一緒に居たトライも何もしない訳にはいかず、自分も線を引いた。
「場外は五秒間、地面に手を付いたら負けだ。トライ、審判頼む」
ユメが言って、手製の闘技場のほぼ中央へ行く。
ロウクもそれに付いて行った。
トライの『始め』の合図で、先に攻撃したのはロウクだった。ロウクの蹴りが宙を切る。
ユメはまだ攻撃しない。ロウクの力を見ているのだ。自分の居ない一年の間にどう変わったのか。
そうだ。ここを旅立ってから一年経つんだ。
ユメは思う。ここに出入りする顔には見知らぬ者も幾人か居たが、気に留めることもなかった。逆に居なくなった者も居るのだろうが、誰が居ないのか思いつかない。ここに出入りする多くの者は、ユメにとっては町を歩いた時にすれ違うだけの人間と同じ、他人だった。
視界の隅に、審判をしているトライの姿が見える。旅立つ前まで、トライも他人だった。セイも。今は仲間だと思う。信じるべき仲間だと。
ロウクの繰り出す拳は全て避けられた。
ユメがロウクの腕を掴む。ロウクは急いで振りほどこうとするが、ユメに思いっきり掴まれているのだ。ちょっとやそっとでは振りほどくことはできない。
ユメはその手を引っ張って、そのまま地面に付けた。
あまりにもあっけない勝負だったので、トライはこれでいいのか、と思いながらもユメの勝ちを言った。
「卑怯だぞ、ユメ! もっとちゃんとやれよ」
ロウクが言う。ロウクにしてみれば、ばかにされたような気分なのだろう。
「何が卑怯だ。決まりに従って闘い、勝てばいいのだ。最小限の力で」
ユメはロウクにそう言うと、トライを見た。
「ロウク、トライとやってみないか?」
体全体はトライの方に向けて、横目でロウクを見る。
ロウクはトライを見た。
「いいぞ」
そのロウクの答えに、ユメはトライと交代した。
「ロウク、いつまでも俺が一番強いとは思うな。闘える者は他にも沢山居るのだからな」
試合の始まりを言う前に、ユメはロウクにそう言った。トライの方が自分よりも強い。そう言いたいのだ。少なくとも、素手での闘いなら……。
「手を付いたら負けっていうんじゃ、おもしろくないよね」
トライがロウクに向かって言う。
ロウクは頷いた。
「場外にさえならなければいいってのにしようか」
笑顔でトライはロウクの返事を待った。
ロウクはこのトライの問いにも頷いた。
「始め!」
ユメが声を掛ける。
二人はそれぞれに構えた。
二人が並ぶと、ロウクが物凄く小さく見える。トライと並べば皆そうなるのだが。
場外にするにはかなり押す必要がある。一息には無理か。
ロウクは考えた。
その途端、トライが攻撃してきた。体をかがめて、左手を突き出す。
ロウクはそれを何とか躱した。しかし、その弾みでトライに背を向けることになってしまう。咄嗟にロウクは地面に手を付き、足を蹴り上げた。
相手の背が低ければ、そこは腹の辺りだったのだろうが、トライでは頑丈な足に『軽く』当たった程度だった。
ロウクがトライに向き直る。いつまでたっても、ロウクはトライの攻撃から逃げるだけだった。たまに攻撃できても、その腕や脚が逆に攻撃受けるのだった。
だんだんと、中央に居た二人が端に近付く。押されているのは勿論ロウクだ。
後一歩で場外に出る、そんな時だ。
トライはロウクを軽々と頭上に持ち上げたのだ。
「うわっ!」
ロウクが叫ぶ。トライの手を離そうともがくが、今更じたばたしても遅かった。
トライはロウクを地面に降ろした。場外の、だ。
ユメがトライの勝ちを言おうとしたとき、セイが来た。
「やっと見つけたわ」
ユメとトライにそう言った後、ロウクに、
「お早う」
と言う。
おかげでユメは勝負の結果を言う機会を逃してしまった。
「そういえば、ナティは?」
セイが言う。
「大方、カムと一緒にその辺でみんなの練習でも見てるんじゃないか」
ロウクが、自分が聞かれた訳でもないのに言う。ナティのことになると、すぐに口を出したがる。
「違うわ。だって来る途中でカムに会ったもの。手品してたわ」
セイがそう言って、改めてユメを見る。
「だから、ナティはユメたちと一緒に居るものとばかり……思ってたんだけど」
一瞬、不安が過[よぎ]る。
「大丈夫だろう。多分知らない道には入らないだろうしな」
ユメは不安を払うように言った。
首都であるグループスとて、いつも平和な訳ではない。安全な道と危険な道、それらは隣り合わせなのだ。一歩違う道を行けば、そこには自分の死を全く恐れないような奴らがごろごろ居る。自分の死を恐れぬ者は、他人の死も恐れない。ナティの性格上、相手を叩きのめしたり辺りに被害を及ぼす魔法を使ったりはしないだろう。法に縛られる分、法など気にも留めない相手と戦うなら、ナティが不利なのだ。
「……俺知ってるよ。ナティ、俺の友達に勉強教えてるんだ」
それまで黙っていたロウクが、たまりかねて口を開いた。ロウクはナティが何となく嫌いだったから、このままユメたちにはどこに居るのか教えないつもりだった。が、あまり三人が不安そうな顔をするので、つい言ってしまったのだ。
「知ってるんだったら、最初に言いなよ、ね」
トライが、軽くロウクの頭を小突く。
冗談のつもりだったのに、トライはロウクから思い切り睨みつけられてしまった。
え?
なぜそんなに強く睨まれたのか分からなくて、トライは困惑した。
ロウクが皆に背を向けて走りだす。
「ロウク!」
トライがロウクの後を追おうとする。しかし、
「放っておけ。いつものことだ」
ユメにそう言われてトライは後を追うのをやめた。
「いつものこと、って?」
セイがユメに尋ねる。
「気に入らないことがあったら一人になりたがるんだ。もう誰も相手にはしないがな」
ユメがロウクの走って行った方を見て言う。
「ユメ、そういうのって、絶対本当は構って欲しいのよ」
セイが尤もらしい事を言った。『ユメ』と最初に言ったのは、ユメがロウクを構うべきだと考えたからだろう。
多分そうだろうな。しかし、そんなことは気休めにしかならないだろうに……。
「俺には関係ないことだ。ロウクがどう思っていようとな」
ユメは冷たく言った。
ロウクの前でなかっただけましだ。
宮に居る間、少し角が取れたユメだったが、ここに戻って来て、また機械的になっている。少なくとも、セイたちから見ればそう思えた。
トライはセイとユメに向かって言った。
「わたしが行ってみるよ。ユメは行かないんだよね」
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