7
ユメとナティはトライと別れた後、通路をそのまま行き、そして出口に辿り着いた。
最初は暗闇の為、そこがどこであるのか分からなかったが、よく見ると、宮の本堂であることが分かった。
一つの明かりが二人の目に映った。そして次の瞬間、ナティはその明かりに、いや、その明かりを持った金髪の男に捕らえられた。明かりが、ナティの白い顔と男の顔をぼんやりと映し出す。
「お前は……」
ナティがその顔を見て言う。ナティに比べて随分背の高いその男に会ったのは、三度目だった。
男は何も言わずに、ナティを連れたまま、ユメから離れた。
「ナティを放せ」
ユメは言ったが、言われて放す訳がなかった。
剣を抜く。だが、男は薄気味悪い笑みを浮かべたまま、闇の中へ消えて行った。
代わりに、別の幾つかの光が見えた。その光りは次々と増え、最後にはユメは周りの全ての物を見ることができる程に明るくなった。
蝋燭の揺れる明かりの中、ユメが前方――ナティの連れ去られた方を見ると、正面の高い所にある椅子に、銀髪の男が座しているのが見えた。
「ウィリエスフィ」
ユメは考えうる最大の敵を前にして、その名を呼んだ。
神子の椅子の後ろに、二人の男が明かりを持って立っていた。多分、この二人が全ての蝋燭に火を灯したのだろう。そして、他に人の居る様子はなかった。ナティを捕らえた男も、どこに行ったのか見当たらなかった。
「ホイ=ユメルシェル、汝はなぜこのような所に居るのだ? 何の用があって我が宮へ、それもこんな夜中に侵入した?」
他に護衛も付けずに、しかも堂々とした口調でウィリーは言った。
「お前の悪事を暴くため。そしてお前が薬を使って利用した人々の仇を討つため」
ユメが答える。
「私が何をしたと言うのか。もし私がその悪さをしたと言うのなら、ユメルシェルは私をどうするおつもりか」
表情も変えずに淡々と話すウィリーを、ユメは見上げた。
「殺す」
その一言が宮に響いた。
「おやめなさい!」
自分に向かって剣を向けたユメに、鋭くウィリーは言った。
「戦いは何も産みません。神は我々の戦いを望んではおられません。もしあなたの父ルーティーンの予言通りに『魔』が降りると言うのなら、それによって命が尽きるのをおとなしく待ちなさい。私には関係の無い事です」
「お前が何と言おうと、俺の勘が告げているんだ。お前が『魔』だとな!」
ユメが言って、ウィリーに向かって走りだす。
勘……本当に勘だけで人を殺すわけがない。
ウィリーの居る椅子のある階段を昇ろうとした時だ。ウィリーの後ろに立っていた二人の男が、何か不思議な力を使ってユメを宙に浮かせた。
「ジャイギャンティック、彼をユメルシェルの前へ連れて来てあげなさい」
ウィリーがそう言って間もなく、ナティが両腕を後ろでジャイギャンに掴まれたまま出て来た。
「自由にさせておあげなさい。ただし、武器は渡さないように」
ジャイギャンは不服そうだったが、ナティの手を離した。彼の元々の仲間、エンファシスの物であった赤い鞘に入った剣は、ジャイギャンがしっかりと持っていた。
「ユメ!」
ナティが宙に浮かぶユメに向かって言う。ナティは階段を駆け降りた。だが、ユメまでは手が届く訳もなかった。
ナティはウィリーたちの方へ向き直った。
「シートゥン、インプルーブ、彼女を解放しろ。そしてジャイギャン、お前はその剣を我が元へ置け」
ナティの態度に驚いたのは敵だけではなかった。ユメも、彼ら以上に驚いたのだ。そして、名を呼ばれたまだ名も名乗っていない二人は、焦りを隠せずにいるようだ。
その二人が何も気づいていないのに向かって、ナティは言った。
「久し振りだな、シートゥン、インプルーブ。十年以上も前のことになるかな、ウィケッドの研究室で会ったのは。もうお忘れか。それでも思い出せぬのなら、名を名乗ろう。よもや、この名を知らぬ、忘れたなどとは言わぬだろうな」
ナティは二人の男それぞれに目をやった。
「――我が名はセト。ウィケッド王の息子、王権の正当なる後継者」
一息置いてから言ったその名に、ウィケッド人である三人は、体を強ばらせた。
ウィリーだけは、何も変わらずにじっとナティの話を聞いていた。
「前の命が聞こえなかったか。お前たち二人は彼女を解放するんだ。今すぐだ!」
ナティの声に操られたように、二人はユメを浮かばせていた目に見えない球を解いた。ユメはゆっくりと床に足を着いた。
ナティのすぐ後ろに足を着いたユメは、前に立つ若い王を見た。
「次はジャイギャン、お前だ。その剣を我が前へ置け。お前の使える相手は悪事に手を染めたキフリの神子ではない。お前の生まれた国ウィケッドの王だ」
ジャイギャンは何も言わずに、剣をナティの前に差し出した。
「恐れてはならぬ、我が友よ。王を語る不届き者にあなたの大切な剣を渡す必要はないのです」
ナティがその剣を受け取ろうとした時、ウィリーがそう言った。
同時に、ジャイギャンの手が引っ込められる。途端、ジャイギャンは赤い鞘から剣を抜き出し、ナティに向かって剣を振り上げた。
振り上げられた剣を、ナティは後ろへ避けた。ユメがその後ろから剣を持ってジャイギャンに襲いかかる。
「我らに王は居ない。王は我らを見捨てたのだ。だから、我らの信ずるものは神のみ」
ユメの剣を剣で受けて、ジャイギャンは言った。
「しかし、あなたの信じているものは神ではありません」
宮の正面の入り口から、高らかに澄んだ女性の声が響いた。
「あなたが神だと思っているものは、神の皮を被った黒い悪魔なのです」
そこにはセイがプラスパーを連れて立っていた。その後ろにトライとカムも居る。
声を発したのは、セイではなくシュラインだ。だが、あたかもセイが言ったかのようだった。
「コヒの神子……」
声の邪魔が入って一時止まっていたジャイギャンがそう呟く。
「何だと? コヒの神子がこのような所まで来る訳がない。声に騙されてはいけない、我が友よ」
ウィリーが、なおも落ち着いた声で諭すように言った。
そのウィリー自身も、実際にコヒの神子に会ったことはなかった。
ジャイギャンに変化が起こった。コヒの神子と、キフリの神子、どちらを信じるか迷った末だった。
突然に、ジャイギャンの体が膨れ上がったように見えた。
「薬か!」
ナティが叫ぶ。
他に物を言う暇はなかった。皆が、ジャイギャンの体が弾けるのを見た。一瞬、五人は彼から目をそらした。それほど気味が悪かったのだ。
後には蜘蛛が一匹、五人を威嚇するように立っていた。
「待て、ウィリエスフィ」
体を起こしてそそくさと去ろうとするウィリーを、ユメが追うとする。だが、ユメの前には、大蜘蛛という難物が居た。
大蜘蛛に向かって剣を振り下ろす。大蜘蛛は、見た目よりも素早い動きでユメの攻撃を躱した。
後ろから三人が走って来る。カムは走りながら呪文を唱えた。
「キゼ!」
吹雪が、大蜘蛛の回りを囲った。
「カサテ・ニザ!」
大蜘蛛が、声かどうか分からない程の濁った声で、呪文を唱える。
すると、大蜘蛛の回りを囲っていた吹雪は消え去り、代わりに火傷する程の熱風が、ユメたちを覆った。
息をすることさえ侭[まま]ならない。辺りの空気は非常に高温になっているのだ。吸おうものなら、喉が駄目になってしまうだろう。
「ム・ザヘン」
カムの声が、風の音の中に聞こえた。
「ヘルユハプ」
そのすぐ後に、セイの声が重なる。
五人を覆っていた熱風が、新たに巻き起こった風によって払いのけられる。セイの使った水の魔法が、細かな雨となって、五人に降った。
トライが、どこから取って来たのか、弓を番えて大蜘蛛を狙った。矢は、大蜘蛛の頭に深い傷を作った。
「すごいじゃない、トライ。いつの間に弓なんて使えるようになってたのよ」
セイが後ろに立つトライに向かって言う。
トライは自分も驚いた、という顔でセイに返した。
「今日が初めてだよ。矢も一本しか持って来なかったし。偶然だね」
そんなことを言っている間に、ユメが大蜘蛛に向かって高く跳んだ。
「ユメ、奴の腕に触るな」
そのユメに向かって、ナティが言う。
「分かってる」
ユメはそう答えて、そのまま剣を、大蜘蛛の首に向かって下ろした。
剣は大蜘の頭を胴体から切り離し、ユメは切った時の反動を利用して、蜘蛛が暴れてもその腕の届かない所まで戻った。
大蜘蛛が動かなくなるまで、時間はかからなかった。時を待たずして、この大蜘蛛も砂に姿を変えるだろう。
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