プロローグ
新暦二九七〇年五月。
涼しい風が吹く季節だった。国の都とはかなり離れた田舎の大地。この辺りでは農業を営む者も多い。
十年以上の間、ここに暮らしていた。
穏やかな気候。これと言った災害もなく、十歳そこそこで領主となった自分にとって平和な日々だった。
「行ってしまうんですね」
目の前の、金髪の少女が言う。
この国の民は、ほとんど金髪に青い瞳だ。目の前の少女も、一般的なウィケッド人の容貌だが、豪華なドレスを身に付けた姿は、この田舎町には似合わない雰囲気を醸し出していた。
少し前まで、その金髪を縦巻きにして、大きなリボンを付けていたが、最近は一まとめにして邪魔にならないようにしている。
「ああ。行ってくる」
答えた少年は、ナティセル。
まっすぐな長い金茶色の髪を後ろで一つにまとめている。長い髪のせいで、目の前の少女より、女性らしく見えた。色白の肌や金髪は、典型的なウィケッド人のものだが、金色の瞳だけが、他のウィケッド人と異なるだろうか。
幼い頃にこの町に来て、十歳になった頃、領主になった。そして、十六歳になった今、ここから旅立とうとしている。
「いつごろ戻りますか?」
少女の隣に立つ青年が、ナティセルに声を掛けた。
ナティセルは、軽く頭を振ると、静かに青年――ガルイグを見た。
『戻らないと思う』
言おうか、迷った。決まっていないことだ。ガルイグは良いとして、隣の少女――セラ姫は、戻らないなどと言ったら、何と言われることか。
「まだ、わからない。目処がついたら、連絡するよ」
ナティセルは言葉を選んだ。
「わかりましたわ。気をつけて行ってきてください。私は、ナティを待っています」
セラが言った。
出会った頃は、ナティセルの事を「王子さま」などと呼んで困らせていたが、いつの頃からか、ガルイグがナティを呼ぶ時と同じように、彼の名前の略称で呼ぶようになった。
「ガルイグ、後は任せた」
ナティは、振り返らなかった。
過去よりも、未来へ。
まずはコヒの宮で妹に会わなければならない。それから、デイへ向かう。
それより先のことは、まだ考えていない。未来は、知らない方が良い。
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