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月下の花

一、隠された儀式

 二九七〇年三月。

 ナティセルは彼の従者のガルイグと共に、自分が治める土地と隣接した町へ来ていた。
 地方の領主というのは、ウィケッドではそれ程の権力は与えられていない。絶対王政を敷くウィケッドでは全ての土地と国民は王のものであり、地方を治める領主は王の命令に従うことになっている。
 それでも、都から離れた地方では領主による搾取などが目立ち、ナティセルが着任した時も、ちょうど前任の担当者が不正を働いていたとかで、あまり領民から歓迎されなかった。悪い状況が何年も続いていれば仕方の無いことである。
 そんな状態でも、災害もなく、ナティセル自身が自己の利益の為に妙なことさえしなければ、数年もやっていれば馴染んでいくものだ。
 若い領主は、自分が治める町では今や名前を知らない者はいないほど有名になっていた。
 それには、彼の容貌や生まれも関係しているだろう。
 綺麗な曲線を描く顔の輪郭や大きな金色の瞳は、彼を女性だと思わせる。年齢もまだ十六歳。身長も男性にしては低い方だし、何より、長く伸ばした金髪が、男性は髪を短く切っていることが多いウィケッドにおいては、女性らしく見える一番の原因だろう。
 また、ナティセルは五代前のウィケッド国王の血を引いていると公表している。
 ウィケッドでは王族を神の一族として崇める傾向があるから、遠い親戚であっても多少は崇拝の対象となるらしい。
 少女のように愛らしい容貌と、ウィケッド王家の血を引くということが、彼の人気を上げた要因だった。
 その人気も、別の領主が治めている隣の町では関係がない。
 ナティセルをそこの住民が見ても、誰も隣町の領主だとは気付かない。自分の領地内であれば衣食住で困ることは無いが、ここでは普通の旅人として立ち振る舞うことになる。
 今も、山間の集落に立ち寄り、泊めてもらえないかガルイグが交渉しているところだ。
 四方を山に囲まれた、町の外れに位置する小さな集落だ。時間が遅い為か、街灯の明かりがぽつぽつと見える。集落の建物はほとんどが平屋で明かりも消えているが、今立ち寄ろうとしている家は他より大きくて明かりが灯っていた。
 ガルイグがナティセルを振り返り、大きく手を振った。交渉成立らしい。
 ナティセルが民家の扉の前まで行くと、その家の主人と思しき年老いた男性が二人を招き入れた。
「今日は近所の者が皆この家に集まっておりまして。少々騒がしいかもしれませんが我慢してください」
 長く伸ばした顎鬚を撫でながら、男は言った。
 家に入ると、なるほど、二十人近くの男たちが酒盛りをしている。広い部屋の一番奥にはこの宴会の主役となる人物が座るはずだが、今は誰も座っていない。先ほどナティセルたちを出迎えた男は主役の席の右前に座ったから、彼が主役というわけでもないようだ。
 その男たちの間を縫うように、ひとりの少女が会場を歩き回っていた。年齢はナティセルと同じくらいだろう。壮年の男ばかりのこの会場で、少女は目立っていた。
「スターニー、もういいから、座ってなさい」
 少女に向かって、近くの男が声を掛けた。
「でも」
「いいんだよ。どうせみんな、酒くらい勝手についで飲むさ。今日はスターニーを送る日なんだ。主役は一番目立つ席にいなきゃな」
 言われて、少女は申し訳なさそうに、一番奥の席に座った。
 宴会に無関係なナティセルたちは、その会場の横の廊下をそのまま通り過ぎようとしたが、その前に二人を出迎えた男に呼び止められた。
「お客人。どうせ飯もまだだろう。食べていきなさい」
 食事を取っていないのは事実だったので、その言葉に甘えることにし、二人は会場に入った。
 テーブルには豪華な食事が乗っていたが、違和感があった。
 厚焼き玉子、砂糖菓子、餡入り餅……。
 甘いもの中心に、こども向けにしか思えない食事が豪華に飾り付けられて盛られている。
 今日の主役はスターニーという少女らしいから、少女の好みのものなのだろうというのは容易に想像が付くが、ここまでやらなくてもと思ってしまう。実際、会場に集まっている大人の男達は、料理にほとんど手をつけていない。ナティセル達は今来たばかりだが、酒の空瓶ばかりどんどん増えているのがわかる。
 適当に席を詰めてもらい、空いたところに二人は座った。
「今日は何かのお祝いですか?」
 隣に座る男に、ナティセルは声を掛けた。
「ん? 女か。珍しいな。こんな町に。今日はスターニーちゃんを送る日さ」
 男が答える。
 ナティセルを女だと思ったのだろう。それに少々腹が立ったが、それよりも何が珍しいと言うのか、その方が気になった。こんな寂れた町に、というお決まりの台詞なのだろうか。
「どうして女性が珍しいんですか」
「ん、ああ。まあ、良いじゃないか、そんなこと」
 男は軽く手を振り、逆隣の男から酒をついでもらって、そのままその男と談笑を始めた。
「奇妙ですね」
 ガルイグがナティセルに耳打ちした。
「ああ」
 さっきの男だけではない。会場全体が異様な雰囲気だった。難しい話をしているわけではない。しかし、皆が打ち溶け合って楽しく談笑しているふうでもない。ただ酒を飲み、つまらない冗談を言い、大声を出して笑う。
 酒の力で、無理やり楽しもうとしているようだった。
 部屋の端の席で、少女はその様子をはにかんだ笑顔で見つめている。つまらない冗談に合わせて笑い、食事を時々つまみ、そして時々、真剣な表情で考え込んでいる。
 途中、何人かが部屋を出た。家の主人と思しき男と、あと二、三人。
「見てくる」
 ナティセルはそう言うと、席を立った。
 宴会をしている大部屋から廊下へ出る。先に部屋を出た男たちの後を距離を置いて足音を殺して歩く。見つかって何か言われたら、手洗いを探していると答えればよいだけだ。
 男たちは廊下の突き当たりの部屋に入った。扉の隙間から見たところ、台所のようだった。
「なんとか数を用意することができた。ありがとう」
 家の主人と思しき男が他の男に向かって言っている。
「いや、このくらい、ワークシュナさんに比べたら」
 少し若い男が言った。
 足元に並ぶ樽に視線をやる。
「君の娘さんには悪いが、これであと二年は安泰なんだ。俺の娘ももう随分前に行った」
 別の男が言う。悪意のある表情ではなかった。
 ワークシュナ――スターニーの父親なのだろう――は樽に視線を落としていたが、暫くして顔を上げた。
「そうだな。仕方がないんだ」
 諦め。
 若い男が、ワークシュナを見た。
「考えたのですが、あの客人を娘さんの代わりにすることはできないのでしょうか」
 周りの男たちが、はっとした表情で若い男を見た。
 しかし、ワークシュナは首を横に振った。
「旅人を巻き込むつもりはないよ、グロウン」
「自分の娘を犠牲にして、村の平和だとか、そんなのおかしいです!」
 グロウンが言う。
 ナティセルは男たちが集まる台所の扉を開けた。扉を開ける微かな音に気付いて、男達がナティセルの方を向いた。
「他人なら良いのですか?」
 ナティセルは、グロウンという名の男を見て言った。
 中に居た男たちは皆、ばつの悪そうな顔をして下を向いてしまった。
 台所には酒の匂いが篭っている。樽の中に入っているのは果実酒だろう。
「わたしを娘さんの代わりに、どうするつもりですか?」
 あくまでも視線は言い出したグロウンに向けているが、その場にいる全員に聞きたいことだった。
「どこかへ連れて行くのでしょう? ここにある貢物と一緒に」
 突っ込んだ質問をしてみたが、男たちの顔を見ると皆口を閉じたままで、答えは聞けそうになかった。
 ナティセルは少々考える振りをして、それからワークシュナを見た。
「一体、何におびえているのですか。あなたの友人は他人を巻き込もうとまでしたのです。巻き込まれそうになったわたしには、知る権利があると思います」
 話の流れからして、貴族を名乗るような者に貢いでいるのだろう。脅し取られていると言う方が正確か。
「みなさんは、先に会場に戻ってくれないか。あまり席を外していると、スターニーにいらない不安を与えることになるかもしれないから」
 ワークシュナがそう言うと、他の男たちは台所から出て行った。
「竜という生物をご存知ですか?」
 ワークシュナが言った。
 竜は生物学的には、尾を除いた全長が人と同じくらい、もしくはそれよりも大きな爬虫類のうち、甲殻を持たないものの総称だ。だが数が少ない為あまり一般的ではない。翼を持ち空を飛び口から炎を吐くような、物語にしか登場しない竜の方がまだ一般的と言えるが、実際にその姿が目撃されたという話は噂でしか聞いたことがない。もっとも、ナティセルが生まれるよりも遥か昔に生物実験を繰り返したこの国で、どのような生物が生まれていてもおかしくないし、その実験の記録が全て破棄されている可能性もあるだろう。
「ええ。知っています」
 どちらにしろ、ナティセルの知識外の生物ではない。
「あの山に、竜が居るのです」
 ワークシュナが窓を指差す。
 窓の向こうには、大して高くも無い山が見えていた。
「百年前に、我々の先祖が竜と取引したのだそうです。二年に一度、女と酒、食事を竜に捧げる。その代わり、それ以外のものを破壊したり奪ったりしないで、外敵からこの町を守ると」
 つまり、スターニーは今年の生贄だというのだ。
「本来の町の人間ではなく、わたしを使うつもりで?」
「いえ、とんでもない。それはグロウンが勝手に言い出したことです。気にしないでください」
 ワークシュナは手を振って、困ったような笑顔で言った。
「スターニーは知っているのですか」
 ワークシュナは俯いて首を横に振った。
「スターニーには、山向こうの貴族との縁組みだと言っています。こういったことは二年に一度、必ず行われているのですから、娘も気づいていないわけはないでしょうが、それでも、本当のことを娘に言うことはできなかった」
 こんな小さな集落で、二年に一度女性を生贄にしてきたのだ。黙っていてもわかってしまうだろう。
 そう言うと、ワークシュナは悲しそうに笑った。
「あなたのようにお若い方には、信じられないでしょうね」
「あなたは、その竜を見たことがあるのですか?」
「こどもの頃、一度。かなり大きな竜でした」
 そう言って目を伏せたワークシュナからは、諦めのようなものが感じられた。

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