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月下の花

四、仕度

 着替え終えたナティセルは、台所で待っていたワークシュナの元へ行った。
 スターニーを送る予定だった時間よりも早く出発することになったことで、台所の酒樽を初めとした貢物を運び出す男達が出入りしている。
 ワークシュナは手際よく男達に指示を出していたが、ナティセルの姿を見ると急に声を潜め、小さく会釈した。
 畏縮しているように見える。
 娘の代わりにナティセルを出すことをナティセルに悪いと思っているのか、それとも竜を怒らせることになるのではと思っているのか。
 隠した心の内まではナティセルには読めないが、自分の邪魔をするつもりが無いのであればそれで良かった。
 貢物を外へ運ぶ手伝いをしていたグロウンが、ナティセルに気付いて手を止めた。
「あなたが、スターニーの代わりに行ってくれるんですね」
 グロウンの表情が明るい。
 赤の他人を利用しようと言うのに、彼からは悪びれた様子が感じられなかった。
「あの子は、ワークシュナさんの一人娘なんです。素直で、純粋で、優しくて。あんな良い子、竜になんか渡せません」
 それを聞いてナティセルは、この男はスターニーを好いてるんだ、と思った。
「そういえば、あなたの名前をまだ聞いていませんでした。なんという名前なんですか」
 グロウンが言う。
 死んだら墓標でも立ててやろうというのか。
 ナティセルは一瞬勘ぐったが、グロウンの表情を見る限りでは、そんな無粋な理由ではないようだった。
「俺はビョウシャ=ナティセル。この町の東に位置する地方の領主だ」
 衣装と言葉遣いとの差に、グロウンは驚いたようだ。何かを言おうとした口が開きっぱなしになっている。
 そんなグロウンに構わず、ナティセルは続けた。
「俺が竜を倒して戻ってきたら、この町の治権を譲ってもらうことにする。お前たちはこの町に住み続けてもよいし、出てもよい。ここは木材資源が豊かだから、俺の領地からも人を送ることになるがな」
「竜を倒す?」
 グロウンが言った。
「我々の祖先が、何度も竜に立ち向かったが駄目だったと聞く。あなた一人で一体何ができるんだ」
「それでグロウン、お前はその竜に立ち向かったことがあるのか?」
「そんなことできるわけが無いだろう!」
 グロウンが大声を出す。他の男達の視線が集まったが、そんなことは気にならない様子だ。
「竜は守り神だと。ずっと、子どもの頃から、そう教えられてきた。スターニーの番が来た時も、俺は竜を倒しに行こうと言ったんだ。だが、竜は守り神だからと言って、誰も行こうとはしなかった」
 ナティセルはグロウンの話を聞いていたが、グロウンに向かって、あっちへ行けというふうに手を振った。
「もう良い。悪い事を聞いた」
 言われて、グロウンは酒樽を運ぶ作業に戻った。
 ナティセルはワークシュナに声を掛けた。
「後どれくらい掛かる」
 ワークシュナが手を止めてナティセルを見る。
「人手を多くしたので、もう半時もすれば終わるでしょう」
 そう言って、ワークシュナは俯いた。
「そうか。スターニーには知られない方が良いだろうから、貢ぎ物を少し残しておけ。婚約相手の兄弟か何かに不幸があったとか言って、婚礼が先延ばしになったと伝えれば良い」
 スターニーが、嘘の婚礼を喜んでいないのは、昨夜の彼女の様子を見れば分かる。昨夜少し話した時に軽く探りを入れてみたら、知りもしない相手との婚礼話に、本人も当惑しているようであった。
 グロウンが、スターニーは純粋で優しい子だと言ったが、それは確かに本当だろう。もし、自分の代わりにナティセルが行くと知れば、止めに入るかもしれない。
 邪魔されるのはごめんだ。
 ナティセルは、話しているのにこちらを見ようともしないワークシュナから視線を逸らし、窓から見える山を見上げた。
 特別高い山というわけでもない。山を越える為の道が山の麓に沿ってあるが、山の頂上へ向かう道は特にはないそうだ。
 生贄になる少女や貢物は山の麓の道に置いて、運んできた男たちは帰る。翌日の朝には、少女も貢物もその場から消えている、と聞いた。竜は鼻が利いて、もしその場に男が残っていたら、その男は殺されて、女が残っていたら、その時に一緒にさらって行ってしまう。
 町の男たち、誰に聞いても、同じように答えた。
 そして、男たちは皆「竜を見たことがある」と答えるのだ。そのくせ、竜の外見を尋ねても、「大きかった」だの「すごい牙だった」だのという大雑把なことしか返ってこない。存在すると言う割には、竜の実態が掴み辛かった。
 ワークシュナが他の男に、スターニーの様子を見てくる、と告げて部屋を出て行った。
 部屋にあった酒樽は外に運び出されて、あらかた無くなっていた。

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