五、竜であるもの
空が白み始めた頃、ワークシュナに呼ばれて外に出ると、立派に飾りつけた手押し車が用意されていた。手押し車のうち、小さいほうにナティセルが乗り、大きな方には貢物を乗せるのだそうだ。
ガルイグが、ナティセルの傍に立つ。
「ナティ、気をつけてください」
「ガルイグ、もし俺が二日経っても戻ってこない場合は、人手を集めてお前も来い」
ナティが言った日付までに戻らない場合、つまりそれは、ナティの身に何かあったと判断するということだ。
「わかりました」
ガルイグは答えた。
山道を行く手押し車の上は乗り心地が良いとは言えなかったが、車を押す男たちはもっと大変そうだった。ナティセルが乗る車を押すのは二人。貢物を乗せた車を押すのは八人。道は緩やかな上り坂になっていて、途中の段差も激しい。この道が、普段はあまり使われていないものだということが分かる。
比較的広い場所まで行くと、車が止まった。
「ここです」
グロウンが言う。
ワークシュナは、スターニーに要らぬ心配をさせないために、町に残っている。
「ここで待っていれば竜が来ます。我々は、ここを去ります」
「わかった」
ナティセルは答えた。
元々、ナティセルはこの男たちからすれば余所者だが、それにしても、山に入ってからというもの、男たちの態度がよそよそしい。ナティセルの方を見ようともしない。男たちの視線は、常に山を見ていたのだ。魅入られるように。
男たちは手際よく、車が滑らないように車輪止めを付けて、ナティセルの方を振り向きもせずに、山を下りて行った。
一人残ったナティセルは辺りを見渡した。何の変哲もない森だ。出発した時点ではまだ薄暗かったが、今はもう太陽が高くなり、森の中と言えど、暗い感じはしない。昔植林したものと思われる木々は、世話をする者がいないせいで鬱蒼と茂り、大きな生物が闊歩できるような空間は無さそうだった。
風が巻き起こった。
上空から叩き付けるような強い風に、ナティセルは顔を伏せる。
顔を上げると、目の前に竜が居た。
物語に登場するような竜だった。背中の翼は、今は折りたたまれていて鍵爪が少し見えている程度だ。
大きさは、成人男性よりも一回り大きいくらいで、想像していたより小さかった。
竜が、ナティセルに向かって口を開けた。
その口から、薄い紫色をした煙のようなものが吐き出される。
吸ってはいけない。
ナティセルは本能的にそう思ったが、既に遅かった。
視界が歪み、その後は闇になって、思考も閉ざされた。
ナティセルは、酒の匂いの立ち込める中で目を覚ました。
ここはどこだ?
自分が置かれた立場を考える。竜の生贄として待っていたら、竜が来て妙な息を吹きかけられて気を失った、もしくは眠った。今まで、自分は柔らかい布の上に寝ていた。単純に考えると、竜がここへ自分を運んだということだろう。周りの壁は剥き出しの岩。同じく岩が剥き出しになった天井を見て、ここが洞窟か隧道のような所だと理解する。
強い酒の匂いは、自分と一緒に運ばれていた果実酒の物だろうか。
壁になっている岩のところどころには蝋燭の明かりが灯されていて、今居る場所の様子は分かる。洞窟のようだが、これは部屋と言って良いだろう。さほど広いわけでもなく、三方は壁だが、一方だけは、その先の暗い道へと続いているようだった。
部屋の隅には、酒樽が五個程並んでいる。他の酒樽と食料を入れた麻袋は見当たらないから、別の場所に運ばれているのだろう。
突然、並んでいる酒樽の一つが倒れた。
自分が居た寝台のような場所から降りて、身構える。
足元には床板などはなく、剥き出しの地面になっていた。単に地面が平らでなかったから倒れてきただけかもしれない。
そう思ったが、樽の中からさらに板を叩くような音と微かな声が聞こえて来た為、ナティセルは静かに樽に近付いた。
倒れていた樽を立てて、それに向かって声を掛ける。
「何で付いて来たんだ」
「ごめんなさい。出られなくなっちゃった。助けて」
樽の中から、声が返って来た。
ナティセルは溜息を吐いてから、樽の天井を破った。中に入っていたのはスターニーだった。
「ありがとう」
膝を折った状態で樽に入っていたスターニーは、樽の縁に手を掛けて樽から出ようとした。しかし体勢が悪く樽ごともう一度倒れる。
音が響いた。
スターニーは額を地面に打ち付けたようだったが、それ程痛くなかったのか静かに樽から這い出してきた。
先ほど大きな音がしたので誰か来るかと思ったが、部屋の外からは何の気配も感じなかった。
スターニーは自分の額に手を当てて、傷の具合を見ているようだ。
「俺の質問に答えてもらおう。何で付いて来たんだ?」
問われて、スターニーはナティセルを見た。
「元々、わたしがここへ来るはずだったんでしょう? あなたに迷惑は掛けられないから」
笑顔で答える。
じゃあお前が来て何の役に立つんだ?
という言葉をナティセルは飲み込んだ。それは来る前に言うべきことで、来てしまってから言っても仕方が無い。
ナティセルの予想に反して、実際に竜は居た。しかも妙な技を使ってくる。竜を倒すにしろ、ここから脱出するにしろ、スターニーが足手纏いになることは目に見えている。
「ここが山のどの辺りか分かるか」
身体的には足手纏いだろうが、地元の人間なのだから知識なら役に立つかもしれない。ナティセルは尋ねた。
「山の下は、昔の坑道が張り巡らされてるって聞いてる。でもここがどこかまでは。わたしずっと樽の中だったし」
スターニーが辺りを見回しながら答えた。
坑道が作られたのは千年程前の話だろう。それからも補強などして長く使っていたのだろうが、山に竜が居ると言われるようになったここ百年は、人間は入っていないと思われた。
この町の資料を集めた時確かに坑道の地図も見たが、採り尽された後の鉱山など必要ないので記憶はしていない。それに覚えていたとしても、坑道は必要に応じて伸ばされるものだから、地図は当てにならないだろう。
「お父さんも皆も言ってくれなかったけど、本当はわたしの番って知ってたの」
スターニーが言う。
「お姉ちゃんの番の時、やっぱりお姉ちゃんはお嫁に行くって言われてたけど、お姉ちゃんから聞いちゃった」
「姉さんが居たのか」
一人っ子だと聞いていたが、姉が生贄になったからだったのだろうか。
「ああ、ごめんなさい。お姉ちゃんって言っても本当の姉じゃなくて、隣の家のお姉ちゃん。二歳違いの。それで、お姉ちゃんが『死にたくない』って言って。でもわたしどうしようもなくて。わたしの番が来たら、竜を倒して皆を助けようと思ってたの。まだ小さかったし、竜を倒せるって思ってたのね」
スターニーが笑う。
「今なら、わたしじゃ無理って分かるんだけど、でもお姉ちゃん達を助けたいの」
真剣な眼差しで、ナティセルを見つめる。
「助けたいという気持ちは分かるが、具体的な策はあるのか」
スターニーは俯いてしまった。
もっとも、ナティセルもスターニーを責められる立場ではない。竜が本当に居るとは思っておらず、竜を倒せるような道具はそもそも持ってきていないのだから。
自分たちの脱出経路を探すことが最優先のように思われた。
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