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月下の花 −器−

器 1

 翌日、ナティセルの住む館に、セラがやって来た。日が出てまもなくの時刻である。本来なら、早朝の客は断っているのだが、婚約者なだけに、そうもいかなかった。
「どうしたんですか、セラ姫。こんな早くから」
「だって、王子さまが昨日『また明日』とおっしゃったから、会いに来たの」
「確かにそう言ったかも知れませんが、次の日すぐに会いに来いとまでは言ってませんよ」
 本当に仕方のない姫だ。
 ナティセルはあきれるのを通り越して、半ば感心していた。
「朝食は済ませてきたのですか」
 ナティセルが尋ねると、セラは首を横に振った。
 ナティセルも朝食はまだだったので、二人で食事にすることにした。
「王子さま、」
 セラが言った。
「何を今更、と思うかも知れないけど、私は王子さまのことが大好き。王子さまはとても優しいし。私、お父様から王子さまとの縁談を持ち込まれた時、本当は断ろうかとも思っていたの。でも、断らなくて良かったと思うわ」
 セラのその言葉は、ナティセルを驚かせた。王子セトとの婚約なのだ。当然、ほとんどの女性は喜んで受ける。それは、セトの地位に惹かれたもので、セトの人格に惹かれたものでないことは明らかだ。
 セラの場合は違うらしい。
「……そうですか。あなたがそういう気持ちでわたしを見ていたとは思いもよりませんでした」
 ナティセルは言った。
 セラがナティセルに必要以上についてまわるのは、権力とか金、そういうものが欲しいからだと思っていた。政略結婚だとすれば、それが当然だから。
 セラは、先ほどのナティセルの言葉の真意が分からず、首を傾げている。
「なごみ中、失礼」
 いきなり、大声でそう言いながら、ガルイグが入って来た。
「ナティ」
 ガルイグはナティセルを呼ぶと、耳打ちした。
「探していた遺跡への入り口が見つかりました。今は魔法で入り口を隠してありますが、盗掘団に見つかる前に出発した方が良いと思います」
 小声で言う。
「そうだな。分かった。今すぐ準備するから」
 ナティセルはそう答えると、食事も途中で切り上げ、自室に行こうとした。
「あの、王子さま」
 セラが、部屋を出ようとしたナティセルを呼び止めた。
「何か?」
「また、お出かけになるのね。私を置いて……」
「今日は大人しく待っていてくれますよね。大丈夫。戻って来ますから」
 不安そうな顔をするセラに、ナティセルは言った。
 ガルイグが口を挟む。
「セラ姫、ナティセルには好きなひ――」
「言うなよ、ガルイグ!」
 途中で、ナティセルが止めた。
 普段、冷静で落ち着き払ったナティセルが、今ばかりは顔を赤くしている。
「セラ姫――」
「だから言うなよ。良いな、絶対だぞ!」
 ナティセルはそう言ってから、自室へ行った。
 足音が小さくなって行く。
「あの、ガルイグさん、さっき何を言おうと?」
 セラがガルイグに聞いた。
「セラ姫、あなたは一体、ナティに何を望んでおられるのです? ナティはこの辺り一帯の土地の領主でしかなく、王子ではありません。お姫様が得をするようなものは何も、持っていないのです」
 ガルイグが冷ややかに言う。
「王子さまはとても優しい方です。私が得られるものは、王子さまの優しさだけで十分です」
 セラは笑顔で答えた。
「ナティは姫のことを愛してませんよ。姫も気づいているはずです。ナティが姫の目を見ようとしないことに」
 セラも、そのことには気付いていた。しかし、ナティセルが自分と目を合わそうとしないのは、自分を見るのが恥ずかしいからだと思っていた。
 今ガルイグに言われて、初めて分かった。
「分かっています……」
 セラの声が震えた。
「王子さまは、私を好いていらっしゃらない……。それでも、いつかきっと――」
 希望を乗せてセラが言った言葉も、次のガルイグの言葉に、無意味になる。
「そんな時は、来ないでしょう。ナティには、好きな人が居るのです」
 はっきりと、ガルイグは言った。
 セラの目から、涙がこぼれ出す。
 しかし、すぐに涙を止めて、セラはガルイグを見た。
「王子さまに、私は帰ったとお伝えください」
 そう言って、軽く会釈をすると、セラは部屋を出ていった。
 ナティセルが、旅装に着替えて戻って来る。
「帰りましたよ」
 ガルイグが、ナティセルに言った。
「帰った? 一体どうして。ガルイグ、何か言ったのか」
「いいえ、何も」
ガルイグは頭を振ってそう言った。

 二人は、遺跡の入り口へ行った。この遺跡は、その存在がはっきりしているにも関わらず、どうしても入り口が見つからないやっかいなものだったのだが、つい先日、やっとガルイグが入り口を見つけたのだった。
 ガルイグが、入り口を隠すためにかけてあった魔法を解く。
 緩やかな斜面に、落とし穴のような穴が開いた。
 ナティセルはその中に入った。どんな罠があるか知れない。自分が罠を回避できたとしても、後からくるガルイグが回避できないかもしれないから、前方だけでなく、後方にも注意を払う必要がある。
 遺跡の中は、何箇所も分岐があったが、どんな時にも、一番右を進むことにした。まあ、同じ場所に戻ってしまうこともあったが。
 遺跡は古代の都市だ。土に埋もれ、何万年もの間に、朽ち果ててしまっている。上に積もった土の重みで崩れた天井、柱。床はすでに見えず、石や土が床となっている。
 広間に出た。
 何者かの気配を感じた。
「ガルイグ――」
 ナティセルが、ガルイグを振り返ろうとしたとき、ナティセルの足元から光が広がった。
 光は、一瞬でナティセルを囲む。
 足が動かない。
 罠か? いや、違う。魔法だ。
 ナティセルは後ろを見た。ガルイグが居るはずだ。
「何のつもりだ、ガルイグ!」
 ナティセルは声を張り上げた。

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