よき友に恵まれ、高校という限定された時間の中でアホ仲間と奇行を繰り広げることは、勉強なんぞよりも優先することだったのである。
心配と経済的負担を両親に負わせたこと、教室でマジメに勉強していた奴の邪魔となっていたことに関しては、申し訳なく思わないでもないが、私は高校時代の生活に一片の残悔もない。
クラスでは奇人・変人で通り、成績は下の中だった私の第一志望は、3年間一貫して法政だった。当時、私は社会学に強い関心を示しており、社会学をやるのならば伝統と実績ある法政大学社会学部こそがふさわしいと認識していたのである。
模試では性懲りもなく「第一志望・法政大学社会学部社会学科」と書きつづけ、そのたびにE判定という素晴らしい結果表をもらっていた。だが、私は偏差値的に低いとされる大学に志望を変えようとは、決してしなかった。
何も私は、受験をなめていた訳ではない。
「何月から勉強すれだ大丈夫だろう」だの、「マークシートの偶然で受かる可能性もある」などと考えるほど私はバカではない。私は後学と面子のために、高校3年の2月に於いても大学受験を受けるつもりではいたが、「受かる」とも「受かろう」とも考えてはいなかった。万が一なんかの偶然で合格通知をもらったとしても、あえて浪人しようとまで考えていた。
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