白門祭へ。少人数のOBのみで
2005年11月07日(日)




 古巣へと行って来た。近年は椎応大学とも呼ばれる中央大学多摩キャンパス。5年間通ったのだが、今では年に1度2度しか行かない。その大学へ足を運ぶ貴重な機会が学祭である。それも学祭最終日。所属していた部の演武会が行われるのだ。現役部員の演武を見て、懐かしさや過去との違いに感慨に浸り、そしてやって来たOB同士で昔話をする。この機会があるからこそ、どうにか年に1度、あるいは数年に1度、どうにか同時代を過ごした連中と顔を合わせることが出来る。


 演武の後には反省会があり、現役部員はもちろんのこと、OBや慶應大学の友好団体の来客をも招いて演武への反省と批評が行われる。私はここへの例年参加していたが、今回は辞退した。事前にTem氏、魔人氏、F氏(いずれも仮名)らと話していたのだが、さすがに部を離れて何年も経ち、現役部員に知己もほとんどいなくなった今、技の批評をするのはおこがましい。さらには、30前後になってまでOB面して現役部員の活動の場へ乗りこむことは歓迎されぬのではないか、と危惧しているわけだ。学生とOBとの距離は常に神経質になる必要がある。制度的権威や権力関係に甘えて、場を支配する地域制圧力を行使してはならない。だからこそ、私は演武の後は反省会へ行かず、特に最長老のOBと共に学食で談笑することとした。




 さて、学食なのだが、少し変わったのう。いつ変わったのかは知らないが、3階に「芭巣亭」が?「芭巣亭」と言えば大学前のバスロータリーにある店だったはず。それに4階の「生協和おん」とは?ここには「スエヒロ」が入っていたはずだ。世の中かわるものである。どうなっているのか見物がてら上の階へ行くつもりだったがやっていない。唯一営業している1階生協食堂へと行く。




 生協のメシは少しメニューが変わった上に、値段が数十円ずつ上がっている。これは大学院入試の為に卒業証明証を取りに来たときに確認したが、相場が変わったことの衝撃は大きかった。我々が生活した場としての中大は、変遷を重ね、ますます遠くなりつつある。まあ何事も過去のままなわけはないのだが。




 私が頼んだのは甘酢醤油定食。少し名称が変わっていたような気がしたが、これは私にとっては「甘酢」である。390円の食券を券売機で買って「アマズ!」と叫べば、厨房のおばさんがこれを出したものだった。入学したての頃は、長い正式名称ではなく「アマズ!」という略称を厨房の会話から聞いて使うことに、キャンパスに定着したかのような喜びを覚えたものだった。しかし今では430円だ。まあ注文は「アマズ」で通じたが。
 しかし私、先日から胃腸が激しい炎症を起こしており、さすがに脂のカタマリの甘酢はヘヴィーすぎた。胃も腸も鋭痛が走って、1人で呻いていたものであった。




 それにしても雨まじりの曇天といえども、学食の中は学祭期間中とは思えない。普段の学食のような雰囲気だ。学祭時期の学食とくれば、ここそこで出店準備や前日の飲酒で疲れた連中が四肢累々とくたばり、そこへ出店の食い物を売りつけようと売り子が跳梁し、さらにはサークルの出店の控え室として一角を占拠して大荷物を置く連中に対して、生協職員がダンボールやゴミ袋に荷物を入れて撤去する攻防を繰り広げていたものだったのだが。別に昔の無法状態がよかったとは言わないが、祭の日の学食に非日常的な空気がないのはちと寂しい。




 この学食でTem氏、魔人氏、F氏、課長(仮名)と私の5人で談笑していたわけだ。Tem氏は、仕事で録音に使っているMDレコーダーを取り出し、突然「MY WORST」と書かれたMDを装填して再生しはじめる。スピーカーから流れ出したのは・・・「力石のテーマ」。歌の最中に突然絶叫するというイカレ歌だ。その他、「宇宙のパイロット」「へドラの歌」などのイカレを皆で耳を寄せて聞き、そのイカレ具合に笑う。大学時代はTem氏が面妖な歌を持ってきてよく掛けたものであった。部室では、昔のOBからの寄付(廃品処分とも言う)の壊れかけた年代物のラジカセで、私が編集したいかれ歌のテープを延々と流していたりもした。まったく懐かしい。しかし学食で狂人の絶叫を聞くためにスピーカーを使うとは、さすがTem氏である。


 ちなみに学食で話したネタ。

・「ドラッグ・クィーン」の意味。前述の部室用テープにはSister Queenなるアーティストのイカレた歌も入っていた。これは高校時代の友人が教えてくれてはじめて私は知った。部に持ち込んだとき、Sister Queenとはどんなアーティストなのかは部の誰も知らなかった。友人の言うところによれば「ナンバー・ワンのドラッグアーティストだ」とのこと。このことを1997年に部で話し合ったとき、我々は「ヤクをやってラリって歌うアーティスト」と解釈した。
 だが今年になってからネットで偶然知ったのだが、その解釈は違った。「drug」ではなく「drag」、つまり女装なのだ。さらには「queen」の意味も、先日アメリカ人と映画の話をしていて偶然知った。「queen」とは「男性同性愛者」のことなのだ。つまり「ドラッグ・クイーン」とは・・・曲にも出てきた「Saturday night everyman is a queen」とは・・・。


・Tem氏と「タコラ」の出会い。我々の大学生活を象徴する代物のひとつに「クレクレタコラ」がある。詳しい説明は解説参照のこと。簡単に言えば1972年頃に作られた幼児番組(のような番組)である。その内容はあまりにも強烈。物語は原則として物欲によって進められ、略奪、強盗、窃盗、詐欺のオンパレード。そして暴力による報復で事態は収束するという、人間社会の本質を抽出するかのような番組だ。これを部に紹介したのはTem氏なのだが、どうやってTem氏が「タコラ」と出会ったのかはあまり語られることがなかった。それが今回語られた。
 Tem氏の高校時代のご友人が入院している病室で、テレビをつけたらテレビ神奈川の再放送で「宙返りはつらいよう」の回がやっていたという。これを見て、Tem氏は「タコラ」の録画をはじめ、しかもLDまで手に入れてしまったという。いや、よりにもよってオチていないあの回を見て、蒐集しようとするとは。さすがはダメなもの好きなTem氏である。


・F氏に弾丸の材質や、ジュラルミンの楯の銃弾に対する強度、跳弾の可能性などについて聞かれた。あと、散弾の絞りやスラッグ弾の貫通力についても解説したような。私はそんなに詳しいわけではないけれども、この中では一番実銃について読んではいる。Tem氏は大学卒業後に何故かサバゲやエアガンに興味を示して活躍の範囲を広げたが、実銃には詳しいわけではない。というわけで私が銃について語ったわけだが、自信がない部分もあった。F氏がこの情報を何に利用するのかはわからないが、私の間違った知識に基づいて銃撃戦に対応して、命を落とすようなことがあったら申し訳ない。


・私の沿線には精神病者の施設、それも殺人を犯しながら無罪になった連中の施設が集中しているそうな。ある友人も沿線の警察署に勤務しているのだが、そういう施設から脱走した連中が暴れたり、警官に襲いかかってきたりする事件がしばしばあるという。そして調べてみたら、過去に何人も殺している、と。恐ろしいことだ。


・私が先日バスに乗ろうとしたら、イガチキが乗っていた。「これはオレのバスだ、貴様ら降りろ」と乗客に怒鳴る奴が。しかし乗客は次々乗ってくる。それにサラに怒り、「乗ってくるな!これはオレのバスだ」と怒鳴るイガチキ。電車だったら違う車輌に移ったり、ホームに出て1本やり過ごしたりするんだろうけど、始発のバスでは乗ったら降りられないからね。この話をしたら、課長が腹を抱えて払っていた。彼はイガチキネタが好きだからね。相変わらずだ。


・Tem氏曰く、サバゲで一番難しいのは人よりも場所とのこと。確かに、撃ち合っても周辺住民に危険を及ぼさず、銃を持って集まれる場所は少ない。専用の場所を借りるしかないが、交通の便がわるいとのこと。確かに場所は難しいだろう。しかし人に事欠かないとはすばらしい。Tem氏の会社では招集すれば、すぐに敵味方で2チーム分の人員が集まるという。


・1998年2月15日未明に私はひどく酩酊して、日本刀を振り回しして多摩センターから永山まで怒号を挙げて闊歩した。義盛氏(仮名)はハルバードを振り回した。通行人は、すれ違うまでは下を向いて歩いていたが、すれ違った後は走って逃げ惑っていた。このような悪質な無頼行為は決して自慢できるようなことではないが、この時代を知る人間と集まるといつでもこの話が出る。今でも不思議なのは、何故私と義盛氏が逮捕されなかったかということだ。今これをやったらどうなるか?警察による治安強化が市民のコンセンサスを得て、政治家はそれを推進し、拳銃の使用基準が緩和された現在では、すぐに通報されてパトカーが5台ぐらいすっ飛んで来ることであろう。そして私は酔ってよくわからん頭で抵抗するそぶりを見せ、撃ち殺されたに違いない。


・誕生会。誕生会という習慣が部にはあった。私の学部時代の後半には、ただ集まって部員の誕生日を祝い、飲み、ヘンなものをプレゼントし合う宴会に変質しつつあったが、1997年には嫌がられるものを選んでプレゼントし合う儀式であった。しかも会場のファミレスへの集合時間を決めなかった為に、いつ誰がやって来るかまったく分からず、なかなか帰られなく居たたまれないことになったものだ。携帯電話の普及率がとても低い時代の話。


・「奇面組」のアニメ版では、骨組の「くるつてる」が、「かわつてる」という名前に変わっていた。「奇面組」とくればTem氏にとっては、「くるつてる」らしい。


・「ジョジョ」の有名な誤植、「なにをするだー」について話したら、誰も覚えていなかった。あんなにインパクトが強いのに。実はジョースター家は田舎貴族で、興奮して地が出たのだろうと話し合う。ついでにディオの「今まで食ったパンの枚数を覚えているのか」がTem氏のお気に入りのセリフらしい。


・シュトロハイムの死因は、整備不良かバッテリーの劣化か?部品供給のストップの為か?スターリングラード戦線で名誉の戦死とあるが、奴はどうやって死んだのか?


・1998年1月15日の雪合戦について。めずらしく東京に大雪が降ったこの日、部の20才の地方出身者らが八王子の成人式に行かず大学へ集まった。交通機関がマヒしている中、徒歩で!そこで雪合戦をしたわけだが、裸足に下駄、裸に道着という出で立ちで凍傷寸前になるバカ数名。その1人は現在中央官庁に勤め、今日は子供を連れてきていた。世の中わからないものである。

・「エヴァンゲリオン」の実写版について。ハリウッドで制作されるという話だが、ちっとも続報を聞かない。なのでその内容を勝手に想像。


・「プリキュア」は第3期だったっけ。私が携帯電話のミニSDカードに入れた「プリキュア」のOP動画を流すと、F氏は「今のとはちょっと違うね」とのこと。お互い、日曜の番組などごく稀にしか見ないのだが、それども細かい違いに気付くとはF氏はさすがだ。


・暴力ゲームの「GTA」について。「3」は神奈川県で有害指定を受けて有名になり、「クローズアップ現代」では残虐モードonの画面が、ぼかしをかけて流された。M16ライフルで頭をふき飛ばされるところとか。まあそれはどうでもいいのだが、やっぱり1作目の「GTA」の方が笑える。PC版とPS版とのセリフの違いや、南無阿弥陀仏ボーナス、PS版ではなくなっていた列車爆破ミッションなどなど。
 PC版の「きちがいジミーの奴が・・・」はPS版では「狂犬ジミー」に変わったし、fxxkなどもなくなっていたような。PS版では、断りもなく列車でヤクを売っている奴らがいるという理由で、列車そのものを爆破するミッションはなくなった。依頼人は「死者200人、重傷者80人、よくやった!」って、それはただの乗客なのでは。だけれども仏教の僧侶を皆殺しにすればボーナスが入るのはPS版でもそのまま。基準がわからん。


・1997年においては、「ときメモ」が部内で一世を風靡した。最初は反発する者が勢力を持っていたが、次第に1人1人と籠絡されて最後は誰もいなくなった。特に急先鋒の1人は、PSのメモリーカードないから1度プレイし始めたらクリアまでやり続けなければならないとして、午後大学に来て、「今日も1クリアしてきた」と宣ったものであった。そんな彼も今や司法試験に合格し、妻帯している。


・「キン肉マン」も「北斗の拳」も古典である。今の若い者はそういう作品が昔あったということしか知らない。「北斗の拳」も「平家物語」も「ガリア戦記」もかわらないらしい。我々も年を取ったものだ。


・課長曰く、少年時代を過ごした浜益村では生と死のプロセスを学べる。
鹿が轢かれて、
道路の脇に押し出され、
保健所が始末に来ることもなく放置され、
腐敗して虫がたかり、
白骨化し、
骨も風化して、
そして皮だけ残る。
 なかなか哲学的だ。だから「ネクロマンティック」や「ユナイテッドトラッシュ」を見るようになったのだろうか。


闇鍋のとき、F氏がジャムを巾着に入れたら、破れてスープとジャムがまざった。甘いものはスープそのものをダメにする。せんべいはモチに戻るからマシ。しかしかつて忍氏(仮名)が行った闇鍋では、マブチの水中モーターが入っていたという。


・かつて行った苦行にして威力業務妨害のハンバーガー300個は、苦痛だった。ハンバーガーは冷めると別の物質になる。しかしホームレスに配給すれば行列になったかも。ハレルヤのばあさんみたいに。


・Tem氏が1997年に部を辞めようと思ったのは2回。
部室のドアを開けたら新入生らがSister Queenの「Our love is on fire」を合唱していたとき、
サークル棟を歩いていたら「魔人ハンターミツルギ」の合唱がどこかの部室から聞こえてきたとき。


・酒に酔った課長は相変わらずだ。
ホームレスに「生きてるか!死んでるか!」と叩き起こすなどしているらしい。
しかし後日酒とタバコを持参して侘びを入れたという。


・Tem氏が会社の同期の結婚式で、二次会で「結婚式の再現」という余興をやる為神父の役を引き受けた。その神父のコスとして、Tem氏は鎖イボ付き鉄球を用意した。モンクですか!


・1999年02月20日〜22日に於いて行われた、私が経験した最大規模の狂気の宴では、ロンリコを猛威を振るった。駆け付け一杯でロンリコを一気飲みしたF氏は「あついあつい」と悲鳴を上げ、ロンリコを飲んだ者は皆顔が腫れ上がっていた。


・一時学食では「ヤスさんのそばは、うまい」なる看板が立っていた。厨房のヤスさんの写真入りで。しかしそのそばは、箸を入れたら全部持ち上がった。


・学食の3階(4階かも)では、チャーハンを炒める中華鍋を荒っぽく操って、1/3ぐらいこぼすおっさんがいた。こぼして皿に盛ると、ちょうど規定量。わざとやっているのか。それを拾って食っている浮浪児とかが厨房に隠れていたらどうしよう。


・学食1階でのF氏の3択。ラーメン/たぬきそば/カレー。私は定食しか食わない。正反対である。そして今日も私は定食を、F氏はラーメンだった。あいかわらずだ。


・もし、学食1階のラーメンに有害物質が含まれていたら大変。しかし4年間くって皆大丈夫だから大丈夫か。それともまだ潜伏期間か。

・人体展の死体はどういう調達方法を?献体とは言うものの、子供や若者が、そんなにキレイな状態で死ぬものか?特に月ごとの胎児の変遷の標本。どうやってこんなにキレイな状態の胎児を調達した?堕胎した胎児が、あんなにキレイな状態で出てくるとは思えんが。


・日本の医学部は遺体不足。身元が確認できない遺体は献体にされる。その為の法律も制定された。だから身分証は身につけていないと。しかしどうやって医学部に配分する?入札するのか?カネを出すのか?それはないと思うけど。もし大学病院にカネで売れるのならば、死体拾ったら2割請求できるのか?


・・・などなどくだらなくもアホな話を延々としていたものだ。非生産的な会話に時間を使うという意味で、なんという贅沢な時間の使い方。そして誰に憚ることもなく、アホなことを言って笑えるという意味に於いても、何という贅沢な時間であった。こんな会話してのは久しぶりですよ。高校大学時代は会話することそのものが快楽だったが、そういう喜びは卒業以来とても乏しくなっている。この会話を出来ただけでも、来た甲斐があったというものである。


 さて、アホな時間を過ごしていたらすっかり夜になった。課長は都合がわるく帰途につき、残った面々は取りあえず多摩センターに出ることに。飲み屋は学祭の打ち上げで混み合っている(ついでに私が胃腸炎で飲めない)。そこでTem氏は「打ち上げで込んでいるのならば、発想を変えればいい」として、学生が入らない高い店か、メシ屋にすることを提案。もちろんメシ屋に行くこととした。




 中大のペデ下って、こんなに明るかっただろうか。
 以前はこんな蛍光灯などなく、薄暗い電灯がたまにあるだけだった。
 さらに言えば、案内板まで蛍光灯内蔵で明るくなっている。
 年もとるはずだ。




 さて、わかりにくいが多摩センターである。
 取りあえずイタリアメシを食う店へ。




 マグナムとわかめサラダ。
 ワインボトルのマグナムの形状から着想して、弾薬に「マグナム」という名前が付けられたのであって、マグナムの名を冠するワインが「強装弾のように強烈な酒」という意味でつけられたわけではない。ということを、在学中は何度か言ったような気がする。その為、さすがにここで、「マグナムワインとはまた、まるで銃みたいだ」という声はなかった。
 そしてわかめサラダ。わかめとくれば注文しないわけにはいかない。1996年に於いて、忍氏が高速のSAの食堂にて、券売機に「ワカメ」という文字を見つけ、それを単体で注文したという故事にならってのこと。だがわかめサラダはごくフツーの料理なのだが。




 そしてデザートに1人1品ずつ。Tem氏は甘党なので、Tem氏と集まるとデザートを注文することになる。かつては「男だけでケーキパーティ」などのマッドティーパーティが繰り広げられたものであった。さらにはコップの水にガムシロップを入れるなどの奇行も・・・それは別の話か。





 さて、メシ屋で学食に於けるのと似たような話をして(さすがに死体の話はしないが)、もう夜も更けてきた。帰途に就く。魔人氏とF氏と別れ、帰りの方角が同じ私とTem氏は電車までの時間、駅下の本屋で時間を潰すことにする。だが、大学時代に立ち寄った本屋はなくなっていた。なんと。世の中かわるものである。永山と黒川の間にはるひ野がなる新駅が出来るぐらいだ。


 なにはともあれ、久々に2重の意味で贅沢な時間の過ごし方をしたものである。


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