3,スタート〜弁天橋〜城山の麓
2005年12月29日(木)


2005年12月29日、10:24:52

 さて、早速昔懐かしいWRのコースを出発である。魔人氏やF氏とは去年の12月にやって来た。美津濃氏とは2001年に自主WRを行った。だが、サクマ氏は実に1997年以来という。つまり我が部が中央大学WRに初参加した年に4年生として初参加して、それっきりである。当時私は1年生であった為、以来公式WRには5度参加していたが、サクマ氏は1回だけだったとは意外な気がした。高尾山口から高尾山頂へ登った為、最近サクマ氏と自主WRをやったような気になっていた。ということはこのコース、サクマ氏にとっては8年ぶりということになるのか。サクマ氏が先頭を切っておられたが、コースはまったく覚えていないそうな。違った道に進みそうになるたびに、私が訂正したりすることとなった。



2005年12月29日、10:28:02

 「電脳警察サイバーコップ」で戦闘が行われたダム上の通路。
 そこを渡るわけだ。




 ダムの一歩手前に、何かの設備がある。



1997年06月01日公式WRにて


2005年12月29日、10:28:28

 2004年11月13日の自主WRでも紹介しているが、ここには1997年には「のりピー」という当時としてもあまりにも流行遅れなコトバが落書きされていた。当時これは「古代遺跡」と命名されたものであった。これは毎年通るたびに話題になっていたが、年々薄くなり、もうまったく見て取ることが出来なくなっている。



1998年05月31日公式WRにて


2004年11月13日、13:22:58


2005年12月29日、10:30:56

 ここには「ケンカ上等」という、あまりにも頭のわるい落書きがあり、これも通るたびに話題になっていた。だが、去年訪れた段階でほとんど見えなくなっており、それからさらに1年たった今年では、「等」の字の一部が残っているような気もするが、もうほとんど痕跡を見て取れない。それよりも、「SLC」と見える水色の紋様、これの耐久力には驚きだ。長年風雨に曝されて、この程度の色落ちで済んでいるとは。




 ちなみにこの相模湖のダムは水力発電所なわけだが、治水が専門である美津濃氏によれば、当時治水目的ではなく発電機能を持つダムの建設は珍しいとのこと。当時としては、首都圏に電力を供給する最新鋭のダムとして建設された訳か。



2005年12月29日、10:37:40

 ところで、今までは目にも入っていなかったのか、そもそもこの広場がなかったのかは知らないが、ここは何の為の敷地なのだろうか。均した土に、ちょっとした小屋が建っている。「実はここで何人も処刑されて、埋め立てられたのではないか」などとアホなことを話し合う。



2005年12月29日、10:38:28

 そしてこんな塔もいつできたのだろうか。
 携帯電話などを中継する無線塔だろうか。
 「サイバーコップ」ではこのあたりに、発電衛星からマイクロウェーブを受信する施設があったような。



2005年12月29日、10:41:00

 そして養護学校のところを左にまがる。ここには以前、使われなくなった古い建物があった。自主WRをしていた2001年にそれがぶっ壊され、そして気が付いたら養護学校が建っていたわけだ。時代の変遷である。



2005年12月29日、10:44:34

 そして養護学校を通り過ぎると、急な勾配。
 堆積した落ち葉で滑りそう。



2005年12月29日、10:46:22

 弁天橋。1997年にははた迷惑なことに、この上でミニ四駆を走らせていたバカがいたものだ。



2005年12月29日、10:49:32

 弁天橋を渡るとキャンプ場があり、以前来たときにはキャンプ場からこのちょっとした橋にあるパラボナアンテナに配線が伸びていた。キャンプ場で衛星放送を導入していたのであろう。だが、今回来てみると、そのアンテナはなくなっていた。線だけで残っていた。なぜアンテナがなくなったのか、とても気になる。壊されたのか、必要なくなったのか、料金を払えなくなったのか・・・。



2005年12月29日、10:54:48

 さて、キャンプ場からは登りである。普段運動不足だと、この登りでもうへたばる。さすがに毎朝決まった量の運動をこなし、電車に乗らずに1時間から4時間歩くこともザラな私は、この程度で心肺も脚も苦しくはならなかった。が、同行していた人々はどうだったでしょう。一応、「つらくなったらいつでも言ってください。無理しないでくださいよ。黙っていたら私は次々に登りますので」と言ってはおいたが。誰も音を上げなかったが、しばしば後を振り返っては立ち止まって伸びた隊列の調整などをこまめにしたものであった。ちなみに私は延々と馬鹿話をし続けていた。ここが苦しかった19才だった大学1年次よりは、28才の今の方が明らかに心肺機能が上だ。



2005年12月29日、10:55:00

 登り切るちょっと手前で、皆暑くなって防寒着をリュックにねじ込んでいた。
 最初は寒かったのだけれどもね。
 けれども立ち止まると寒くなる上、汗が冷えるので、防寒着そのものは必須。



2005年12月29日、10:59:02

 キャンプ場から崖を登り切ると住宅地が。実は、JR相模湖駅の高度に戻っただけなのである。相模湖駅から相模湖公園まで下り、養護学校から弁天橋のところまでさらに下り、そしてキャンプ場からこの場所へ一気に登ってきただけなのである。登るために下っていたという、「オネアミスの翼」の人工衛星の説明を彷彿させるような所業をしていたわけである。
 それにしても、ここに自販機なんかあっただろうか。一応このコースはハイキングの人々がしばしば通るので、自販機があれば売れると踏んだのであろう。相模湖近辺にあったコンビニは2001年に潰れたし、飲料水補給ポイントはあると助かる。





2005年12月29日、11:02:48

 閑静な住宅地を進む。
 いつからか、「どろぼう進入禁止」の看板がここそこの民家に見られるようになった。これは笑い事ではない。主要幹線道路に近い場所では、田舎であっても車で賊がやってくるのだ。防犯意識を高めることはわるいことではない。看板にどれほどの抑止効果があるかは疑問だが、これを見て住民が心を引き締めるのならばそれはそれで効能があろう。
 しかし我々は、「どろぼうはダメでも、ペドの変質者ならばいいんでしょうかねえ」などと不穏当な話を大声でしていた。今日日、この話題はシャレにならないのだが。



2005年12月29日、11:03:38

 さて、先ほど書いたとおり、我々は駅から下ってから登っていただけであって、少しも駅の高度から登っていないのである。これからが山である。まずは高尾山の前に、この城山に登る。

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